自分の感覚を大切にするべきだなと考えさせられる動画。
なんとなく過ごす日々の中で、
自分の感覚よりも他人にどう見られてるか?
他人は自分のことをどう思っているだろうか?
そんなことばかり考える人は意外に多いと思う。
僕も小・中学生の頃は、他人にどうしたら好かれるだろうか?
なんて考えていた時もあったけど、
所詮他人は他人だし自分は自分。
自分を押し殺してまでグループに入ろうとも思わなかった。
我慢して演じて、そのグループに所属しようと頑張ってる奴を見ると、なんか痛い奴だなと思っていたし、自然に楽しいと思える仲間が集まって過ごせたらそれで良いという考え方だから、無理に人に合わせるよりも、ひとりでいる方が楽だった。
まぁあくまで自分はということなんだけど、今の趣味の世界もそう。
無理に合わすこともしないし、当然だけど無理に合わせろとも言わない。
ただただ、お互い楽しい時間だなって過ごすことができれば、それで良い。
楽しい時間を共有できてるなら、これから先の付き合いも長くなる。
でも、これが我慢の付き合いなら、早かれ遅かれ一緒に過ごすことはなくなると思う。
そうなる前提で考えたら、無理して合わせて労力を使うことが、いかにバカバカしいことか。
苦痛に感じるなら素直にグループから抜けたら良い。
お互いの時間が無駄だし、余計な後めたさを感じることもない。
お互い自然でいられること、自分に素直になること、それが「本音で生きる」ってことだな。
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嫌なことを嫌と言えば良い。
楽しいことは積極的にやれば良い。
何を我慢する必要があるんだろ?
楽しいことをするために、やるべきことをやって楽しんでる友人もいれば、
愚痴ばかり言って行動しないで我慢を続けてる奴もいる。
おそらく、相手の機嫌を損ねるくらいなら我慢することの方が楽なんだろな〜
そうとしか考えられない(笑)
まっ、それは人それぞれだから良い。
ただ、愚痴を言うくらいならやれって話。
誰も人の愚痴を積極的に聞きたいなんて奴はいない。
前向きで楽しい奴と過ごす時間の方がよっぽど有意義だ。
堀江貴文さんの本にも書かれていたけど、
「自分の時間を生きているのか、他人の時間を生きているのか」
の違い。
多くの人は1日の時間の大半を、仕事のために職場で過ごしてると思う。
自分の時間を過ごしてると思える人は良いけど、会社に拘束された時間、家に帰ってまで嫁の機嫌を取るための時間。
この生活のどこに自分の時間があるのかな?
逆を言えば、我慢できることが凄いと思う。
僕は他人の期待に応えるために頑張ってきた時間が長かったから、その必要がないとわかった時は言葉に表すことができないほど、自己実現には程遠い時間を過ごしたな感じた。
結局、自分のやりたいことしか長続きはしないし、好きでもないことは努力しようとも思わないから時間の無駄。
人付き合いにしても、仕方ないからと言って意味無い飲み会を繰り返しても、時間とお金の無駄遣い。
お互い有益な情報交換ができるなら、それは大切な時間だけど。
人生100年時代か〜
だとすると、今までが80歳前後だった寿命が20年ほど長くなってるから、逆算すると40歳が20歳みたいなもんだってポジティブに考えてる。
年齢に言い訳することなんてないし、まだまだ人生これからだなって思う。
「もう歳だから・・・」
って会話が出るたびに、僕はまだまだこれからだって言い続けてる(笑)
体力は衰えても、知力は高まってる。
これだって成長だから、衰えることにフォーカスすることはない!
限界を決めるのは周囲でも過去の事例でもない。
自分自身なんだなと。
イチロー選手を見ていると、過去も他人も関係ないなと感じます。
世界のアスリートに多大なる影響力を与え続けるイチロー選手に敬意を表するとともに、イチロー選手の現役の姿をずっと見続けていこうと思います。
目次
イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(前編)
イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(後編)
イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(番外編)