どうも、ヨシヒコです。
僕もよく使う「普通」という言葉。
言葉というか「基準」なんだよねコレ。
じゃあ何を基準か?って言ったら
「自分」だったり「世間一般で大多数」だと思ってること。
これが「普通」って使ってしまう言葉だと思う。
でも、「普通」という基準は、自分でどんどん変えることができる。
世間の多数派と違うことでも、自分が「普通」だと思えばそれは「普通」だ。
他人と同じ解釈をすることが求められる事もあるけど、
「なんで他人と同じじゃないとダメなの?」
「自分は自分で良くない?」
「本当にそう思って言ってるの?」
ってことは多々ある。
「普通そうでしょ!」
って言われることも言うこともあるけど、本当にいい加減な言葉ですよね。
まぁ、「少数派」になると「普通じゃない」って言われる。
これは仕方ないことだと思う。
でも、少数派だからといって自信を無くしたり、自分を否定することなんてない。
著名人もプロスポーツ選手もアーティストも、会社の社長も起業家も、世の中では少数。
それに対して、世の中は「普通」の人が大多数だ。
考え方によっては、世の中に染められた人が「普通」なんじゃないかって。。。
人それぞれ生まれも育ちも生き方も違う。
同じ人なんて絶対に存在しない。
でも、それらを「普通の人」にするための教育システムがある日本。
軍隊の名残があるから、ルールを守らなかったり集団を乱す人を教育するってやつね。
「自由」なんて与えられないのが「普通」だった。
でも、裕福な時代を迎えて変わりつつある今は、世間でいう「普通」という枠からはみ出した人たちが世の中を変えてる。
今まで考えられなかったような芸能人でもない「個人」が認知されるようになり、影響力を持つようにもなった。
今までの「普通」なんて、まるっきり当てはまらない世の中になってきてる。
個人のTwitter投稿が拡散されて話題になったり、アルバイトが企業イメージを損ねる動画を投稿して売上や株価に影響を与えたり、テレビ離れが進んで小学生のなりたい職業ランキングに「ユーチューバー」が含まれるとか、過去の「普通」は全く当てはまらない。
時代とともに変わる「普通」は、個人にとっても同様に変わるはず。
だから、世間一般の大多数を占める「普通」に従っていても、常に後手後手なんだよね。
世の中に追従した形で生きる人はそれでいいと思う。
で、それを選択してるなら「文句言うな!」ってことだね。
だいたい愚痴や文句を言ってる人って、自分じゃ何もしない人が多いから。
全部がそうと言ってるわけじゃないけど、総じて他人や環境に期待したり求めたり・・・
自分の思いどおりにならないことは自分以外に矛先が向く。
問題は全て自分なのにね。
いろんな学びを得ながら年齢を重ねると、全てが自分の責任だって思える。
そして、自分の基準を大切に「普通」だって思いながら生きてる。
他人と違うことはあるけど、自分なりに生きてきた過程で勘違いだったことも多々あるし、今思えば恥ずかしいことだってたくさんしてきた。
経験以外は読書をとおして、いろんな人の考え方や価値観にも触れてきたし、これは一生継続するべきこと。
一般の人から見えると、例えばプロアスリート選手の生活意識や習慣って「凄い」と思えることばかり。
でも、その人たちにとっては「普通」なんですよね。
その領域までは苦痛が伴ってしまうけど、自分の基準である「普通」を、ほんの少しでも上げることができたらそれでいいと思う。
数学的に考えて、たった1度の傾斜でも、そのまま歩けばかなり違うところに登ってる。
何もしないでただ毎日同じルーティーンで過ごしていても、何も変わることはない。
他人と世の中だけが変わっていく。
仕事じゃないから、やるかやらないかの選択は自由。
それが僕にとってはブログや読書だったり、フィッシングやアウトドアだったり、これ自体が僕の「普通」であって他人の「普通」ではない。
そんなことを考えながら、これからも自分なりの「普通」の基準を高くしていきたいと思います。
そんな僕にも一つだけですが、世間一般の「普通」に染まりたいと強く思うことはあります・・・
それは・・・
お酒の飲み方です(笑)