どうも、ヨシヒコです。
ちょっと深刻なタイトルで切り出してみました。
自分が経験しないと本当のことなんてわからない。
だから、経験した人にしかわからないことが沢山あるし、先人から学び僕らは生きているのだと思う。
それが間違った学びになってる部分も否めないけど、これだけは本当のことだと確信できる。
人生の最後といえば、誰もが迎える「死」という事実。
死を宣告される経験ってなかなかできないし、そうなりたいと思う人はいませんよね?
でも、死の宣告を受けた人は先人に沢山います。
もちろん、僕の同級生にもいます。
もし自分だったらどうだろう???
時々考えさせられることだし、いつかはその時を迎えることが決まってるんだから考えてみることも大切かなぁと。
それだけで、「今」という時間をどう生きるか???
って、真剣に考えられるようになるし、できない言い訳をしてることが馬鹿のように思えてくる。
「いつか・・・いつか・・・」
は
「永遠にやらない!」
あるいは、本当にやろうとした時に、別の問題によって更にできない言い訳を重ねていくだけ。
だから、結局やらない。
でも、死を覚悟した人が残す言葉を聞くと、
「本当にそれでいいの?」
って自問自答することになる。
その残された言葉はこんな感じ。
- 他人の期待に応えようとし過ぎなければよかった
- 働き過ぎなければよかった
- 素直な感情をもっと表現すればよかった
- 友人にもっと連絡すればよかった
- 自分をもっと幸せにすればよかった
オーストラリアのベテラン看護師が聞いた、死を覚悟した患者の後悔 より
人生の選択をできるのは自分しかいない!
なのに、他人のせいにしたり環境のせいにしたりして生きてる人は多いような気がする。
確かに、
「世間の目」「他人の目」など気にしたら、そうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
でも、その世間や他人は自分の人生に責任など取ってくれる人は誰もいない。
なのに、自分がやりたくもないことで他人の期待に応えようとするなんて、自分の人生を生きてるとは言えない。
自分が好きで、更に周囲から期待されるならそれで良いけど、嫌いなことを続けてもパフォーマンスは上がらない。
それが人間だと思う。
嫌いなことで働き続けるなんて、どれだけの苦痛だろうか。。。
感情を素直に出せば嫌いなことはやらないし、好きなことは夢中になって楽しめる。
気の合う仲間と一緒に過ごす時間を設けたり、連絡を取り合うことも人生を豊かにする。
自分をもっと大切にしようと思えるし、自分を大切にできる人が他人を大切にすることができる。
これは身をもって僕も経験したからわかる。
自分を犠牲にして何かをするということは、誰かも犠牲になってしまってる。
自分が楽しみながら幸せだと思える時間を過ごすと、周囲も楽しくさせられる。
だからまずは「嫌われても良い」って割り切ろう!
付き合う人を選べば良い!
付き合う人によって、幸せにも不幸にもなる。
無理に好きになってもらおうとしても、それは相手が決めること。
そんなことに時間を使っているなら、無駄だからさっさと辞めた方がいい。
好きでいてくれる人を大切にする方がよっぽど良い!
勘違いしてはいけないのが、あなたのために他人がいるわけではないということ。
これを間違うと好きとか嫌いとかじゃなくて依存になってしまうから。
よく「・・・してくれない。」と言って機嫌が悪くなったりする人いるでしょ。
これは、完全に自分のことしか考えてない何よりの証拠!
周囲はあなたの親じゃないんだから(笑)
だから、幸せも不幸も自分の捉え方次第なんだけど、他人に依存した幸せはいつか終わる。
そして終わった後が悲惨だ。
自分で作った幸せじゃないから作り方を知らない。。。
自立と自律!
自分で判断し、自分の人生を自分で選択して生きる。
そういう人同士が集まると、お互い楽しいし無理な気を使うこともない。
依存したり使ってやろうなんて魂胆がある同士は、いずれ崩壊してしまう。
それこそ時間の無駄。
早かれ遅かれ終わる関係なんだから。
これね、特に年上だと厄介。
良いとこだけ持っていって、何も与えられないのに先輩ヅラだけする奴。
あとは、自分のことを棚に上げてよく言えるな〜っていう奴。
こんなのは無視!
妬み僻みがあるから、他人の感情を動かすことに快感を得る人も世の中にいるから、こんなのは無視ですよ。
人付き合いは自分の判断で良い。
だから僕は、噂で人を判断したりしない。
まともに会って話してみないと、そんな判断はできないし、それこそ情報弱者だって思う。
何でもかんでも学校で習ったことや大人が言ってること、メディアで放送されてることを鵜呑みにして正しいことだと信じてしまうのと同じ。
自分で確かめることが、より一層大切な時代。
世の中なんて紙と一緒で、表があれば裏があるし、光があれば影がある。
すべてのことに2面性がある。
自分で食べたもので身体は作られるし、見たり聞いたり読んだりして脳内にインプットされるもので、思考ができて心も作られる。
自分に取り入れたものしか表現することができませんからんね。
余計なものを体内に入れれば不健康になるし、何も食べないと身体は弱っていくだけ。
学びも同じで何もしないと退化していくだけだし、ソフトウェアと同じように人間もアップデートは欠かせないですね。