どうも、ヨシヒコです。
昔の教育、今の教育。
教育という言葉に対して自分なりに考えることがある。
「教える」「育てる」
この言葉の意味。
「教える」ということは、その立場にある人は「知識」を持つのは当然だから絶えず勉強しているはず。
そして、「育てる」ためには頭ごなしに言うばかりでなく、見守ることも必要だ。
でも今はどうだろう?
「教える」立場の人間が、ただ自分の価値観を押し付けているだけ。
大人になったからといって学びもせず、子供に対して立場を利用しているだけ。
「指導の一環」なんて言葉も出るけど
「指し示して導く」のが指導だから
これも自分の価値観だけでは進めることができない。
また、見守るべき時に口を出してしまう大人も多い。
特に保護者。
家庭という枠組みから出た地域や組織で活動しているのに、自分のこと、自分の子供のことばかりしか考えず絶えず不満を口にする人。
その家庭を中心に世の中は動いていない。
でもなぜか、今の世の中は一人でも声を大にして言うと、多くの人が言っているような雰囲気になる。
メディアが大きく取り上げてしまい扇動されるからなのか、不平不満が多い世の中を反映しているのか
ネガティブなことに対して騒ぎすぎる風潮がある。
学校側も威厳がない時代だし、大人が子供を教育できる力がどんどん奪われているような気がする。
大人が子供にしてあげられること。
それは最大限の環境と気づきを与えてやることかなと思う。
その環境を作るのも大人だし、その環境作るためにも、大人の学びとともに我慢することも必要だ。
環境を作るために一生懸命やっている人がいるのに、その陰では自己中心的な人がその環境を簡単に壊す。
中途半端に接することが子供たちにとっても一番良くない。
組織に任せられない、信用しない保護者は自分の子供に判断を任せることもしないし、結局は自分の子供も信用してないってことを証明してることに気づいてほしい。
まぁ色々問題がある日本の教育だけど、僕がずっとこれだけは変わらないかなと思い大切にしていること。
それは、山本五十六さんの有名な言葉です。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
まずは見本を見せる。そして説明する。
次にやらせてみる。それから褒めてやる。
最近は「褒めること」が重要視されているけれど、その前に、見本を見せることもなければ、それを説明することもないのが現状ではないかな?
と思うことがある。
自分ができてなくて見本にもならない大人が子供に対して偉そうな態度で接していたり、ちゃんとした説明もできないのに今ある知識だけで適当に誤魔化す。
そして、やらせる前から自信を無くさせ、失敗をさらに責める。
当然、行動することに恐怖心を与えているだけだから、ますます行動できない、動かない子供たちが増える。
ここは教育の原点として、あれだけ規律が重んじられた時代でさえそう思われていたのだし、今の時代は特に大切なことだと個人的には思う。
山本五十六さんが残された名言!
これからも大切にしていきたい。
そして、あまり知られていない続きが実はある。
「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」
会話をすることの重要性、話を聞いてやる環境を作り、否定ではなく認めてあげる。
任せるとはチャレンジさせるとも置き換えられると思う。
人は挑戦からしか得るものはない。
それが育てることだから、任せて見守ることの大切さがここにある。
そして、
「やっている 姿を感謝で 見守って 信頼せねば 人は実らず」
と続きます。
ここに出てくる「感謝」という言葉も重みがあります。
僕もまだまだ足りない・・・
これらの言葉を胸に、これからの生き方、そして人との関わりを大切にしていこうと思う。