どうも、ヨシヒコです。
堀江貴文さんの著書
今日は
「自分のことだけ考える。炎上される者になれ!」
昨日の
「バカとはつき合うな」
に引き続き、読破しました〜。
人の目なんて気にしないで、もっと自由に生きていい!!
そんなメッセージから始まるのですが、堀江さんのイメージといえばどんな感じでしょうか?
自己中心的?
拝金主義?
偉そう?
いろんな見方があって、好き嫌いはあるかもしれない。
ご本人はこれにも触れられていて、そんなことは気にしていない。
だから何?
って感じが堀江さんらしい。
でも、堀江さんのメッセージって興味深い!
みんなもっと自由になれよ〜!!
自由になって良いんだよ!!
ってことなんだと僕は解釈してる。
僕もそうだったけど、人からの評価を気にしすぎて自分を偽って生きてきた部分はある。
ほとんどの人が普通教育を受けながら、義務教育の過程を経ているわけだから同じような人も多いかもしれない。
僕はよく先生や親に怒られていた。
体が大きかったことや声も大きかったこと、ついでに態度も大きかったかな?
よくわからない理由で先生方に怒られる。
周りの友達ならスルーされるようなことでも、僕の言動行動は監視が強かった。
親に頻繁に怒られるし殴られるし・・・
なんだか常に怒られて育った過去があるんだけど、いろんなことに好奇心があったから良いことも悪いことも区別なくやってたから仕方のないことかもしれない。
でも、なんども怒られていると怒られないようにどうするか??
って思考になっていくから、どうしたら上手く言い逃れできるのかな?
とか、人間そのものが曲がっていったような気もする。
世の中に対して疑問と反発ばかりが脳裏を駆け巡った過去。
大人に怒られないように表では良い顔して、影では平気で「ダメなこと」だとわかってることを繰り返す。
それが一つの現実逃避だったのかもしれない。
でも人生は上手くできてる。
逃げたくても逃げられないような環境に引き込まれる。
引き込まれるというより、育ってきた環境がそうだから
「そういうものだ。」
と再教育させられてしまう。
大人になってからもそう。
抜け出すタイミングを誤ってしまうと、ずっと違和感を感じながら「我慢」を強いられることになる。
この「我慢」が恐ろしい。。。
それが「普通」という習慣になってしまうから。
多くの人が社会の仕組みの中で「仕事」なり「勉強」なりしてるけど、その環境が「普通」だと思うのは当然のこと。
違う「情報」が入らないかぎり、「そういうものだ」と感じるように社会の仕組みができている。
中国なんかでは、海外の情報が入らないようにFacebookやTwitterは規制されているので、中国版Twitterと言われている「ウェイボーweibo」が使われています。
なぜかって?
国民に世界の情報を伝えたくないからです。
でもこれは、時間の問題でしょうね。
インターネットのアクセス方法を、国ごとで区切ることが難しくなるかもしれません。
インターネットが生活に浸透していない時代なら、得られる情報って限られていましたよね?
テレビ、新聞、雑誌、親や先生などの大人。
そして、学校で接する友達もそう。
でも、今はどうか?
以前の「引きこもり」は、人との接点からシャットアウトされていたけど、今はインターネットがあるから、孤独になんてならない。
別に学校で気の合う友達がいなくても、ネット上にはたくさんいるかもしれない。
それで良いんじゃないか?
って僕なんかは思うけど。
無理に学校という小さな枠組みの中で気が合わなくても無理に仲良くさせたり、理解ができていないのに授業はどんどん進んでいったり・・・
学校教育は子供たちの将来のためとか言いながらも、理解できていない子供たちを置き去りにしていく。
別に理解できていないなら理解できるまで学んでも良くないか?
無理に進級させて点数で優劣をつける必要もないんじゃないか?
って思ったり。。。
テクノロジーが進化しているのに、教育のシステムは既存のまま。
学歴を作って大企業に勤めたところで以前言われていた安定した幸せな生活なんて成り立たなくなっているのに・・・
これからの社会環境に合わせた教育システムじゃないなと思う。
これからは「個」の時代だと幾度となく言ってきたけど、SNSの使い方も単なるコミュニケーションに使うだけじゃなく、「情報」を発信するツールとしての活用の仕方や文章力を高めるための「ブログ」とかは積極的に使わせるべきなんじゃないかなって。
教育が行き届かないものは排除する!
そんな考え方が蔓延しているのだろうか。
確かに使い方を間違えたら事件に巻き込まれることはある。
だからこそ、情報モラルの教育があるんじゃないのかな。
高校生くらいになれば、次のステップは就職か進学かで親元を離れる子供も多くなる。
その準備としては「自己責任」を教えるべきだと思うんだけど、なんせ問題になることはシャットアウトしたがる大人が多いから。
マナーを守って使わせる。
いわゆる、ちゃんと指導できない大人が多いから規制しちゃった方が早いってことなんですよね。
勉強だってネットを使ったら効率的ですよ。
正八角形を作図してください!
なんていきなり言われて
「???」
になっても、グーグル先生に聞いたら即答ですからね。
そのまま文章や図を理解して書くだけです。
暗記よりもどうやってツールを使いこなすか?
これの方が重要な世の中になってきてます。
だから、テストそのものも「暗記力」を試すようなテストならホント必要ないんじゃないかって思ってます。
スマホ持ち込みオッケーのテストとかないのかな(笑)
そんな先生がいたら頼もしい。
話は逸れてしまったけど、自分をコントロールできるのは自分だけ。
他人をコントロールすることなんてできないんだから、周囲に期待をしていても何も起こらないってことです。
全ては自分で決めること。
無駄なことに振り回されてることが多い世の中だから、それに気づかないといけない。
とりあえず、なんでも良いから普段触れたことがない「情報」に一度触れて一歩を踏み出してみる。
先入観、固定概念は、新しい発見を奪ってしまう元凶だから、それを無くさないかぎり視野がだんだんと狭くなるだけ。
読書は間違いなく、視野を広げてくれるツールです。