どうも、ヨシヒコです。
老後を迎えたとき、自分はどんな姿でいるのだろう?
「老後」って言葉そのものを受け入れるつもりもないんですが、定年退職って括りが今後はどうなのかな?
死ぬまでフルタイムではなくても「仕事」はしてるだろうから、年金だけで生活してるなんて考えられない。
ちょっと真剣に考えてみると、まずお金が必要だなって真っ先に思うのは誰でも共通したことだと思う。
でもどうかな???
知ってる人の中には、お金をたくさん持っていても自由に歩ける身体じゃない人がいる。
どこへ行くにも苦労するし、苦痛が伴うらしい。
自由に歩いたり走ったりできる体力や筋力がないと、ただお金を持っていても充実した人生を送ることは難しいように感じる。
お金がなくても健康なカラダさえあれば仕事はできる。
お金もない、健康なカラダもないなんて最悪。
生きている以上、誰だって健康で充実した日常を送りたいはず。
それには健康なカラダが必要不可欠。
「健康第一」って言われるけど、本当に「第一」だなと思う。
僕の場合で考えると、健康なカラダがなくなってしまったら、趣味のフィッシングやアウトドアができなくなってしまう。
生きがいを奪われるようなものだから、健康なカラダって本当に大切です。
あとは、一人遊びって部分では楽しめるかもしれないけど、仲間と遊ぶこともそれ以上に楽しい。
充実した楽しい人生には「仲間」「友達」も欠かすことができない。
お金、健康、仲間と友達。
どれか一つでも欠けたら、充実した人生を送ることはできないと思ってる。
だから「仕事」という収入を得るもの、「健康」を維持するための運動、「仲間」や「友達」と過ごす時間は、人生から切り離すことができない。
これはすべて自分のためです。
でも、人のために一生懸命やることが大切だって教えがある日本。
確かに人のために何かをするって大切だとは思うけど、それが「仕事」に該当するものだと思う。
ボランティアが素晴らしいのはわかるけど、そもそもボランティアってやりたい人がやるべきであって、強制される筋合いはない。
だから、気持ちの問題なんだよね。
好きでやってることに見返りを求めることなんてないから。
「我慢」して「健康」を害したり、「自分の時間」を犠牲にしてるとしたら、本当に人生もったいない。
「仕事」や「家庭」を理由に、常に誘いを断ることも同じような感じかな・・・
求めていないのなら、それはそれで個人の問題だからいいんだけど、行けない理由を語る必要はない。
個人の選択の自由がある。
「価値観」が違うこともあるだろうから、断ることは自由だし何も問題はない。
正解不正解なんて存在しないから、
「類は友を呼ぶ」
という言葉のとおりで、同じ価値観を持った人たちが「仲間」になっていくのが自然なこと。
逆に「価値観」が違うのであれば、その仲間やグループから人はいなくなる。
僕自身も、その「仲間」や「グループ」から弾かれることもあるし身を引くこともある。
僕は幸いにして同じ「趣味」を持つ仲間がいる。
でも、「価値観」なんてものは時代とともに変わるし、生きていれば人間だもの永続的にはいかないかもしれない。
その時々でお互い無理なく付き合っていれば良い。
まさにそこには「強制」なんて無いんだから。
「強制」の世界にいたから、なおさら思うね(笑)
人はみんな「自由」です。
でも、権力を持った者が上にいると、その下にいる者の「自由」が制限される。
これが大なり小なりなんだけど、これが大だとブラック企業とか言われるのかな?
人間の自由が制限されることって、違う角度で考えると人間じゃなくてもできるんだよね。
命令だけを忠実に実行するだけで良いなら機械でいいし、人間がやりたくないことは真っ先にテクノロジーが導入される。
機械に置き換えられる仕事ってことになる。
時代遅れになる仕事を極めようとは誰も思わないですよね。
人間じゃないと出来ないことや機械を導入することが難しいこと、少数で成り立っている分野が生き残るとも言われていますが、単純な繰り返しをしてる仕事なんかは本当に無くなってしまうのかなと思う。
「仕事」も「健康」も「仲間」も、我々の生活に密接に関わりあってることなので、どれか一つを大切にすることなんてできない。
子供が手を離れるまでは「家庭」が中心の人も多くいるけど、それは永続的に続くものではないから、
「今を大切にする」
というなら、それはそれで自由な選択です。
でも、自由にならないことに愚痴を言ったところで、選択してるのは自分。
「家庭」のためと言いながら自分のプライドだったり見栄だったり、自分がやらないと誰も他にできる人はいない・・・
と考えるのは間違いかなと思う。
世の中は誰かいなくても、ちゃんとなるようになる。
好きでもないことをただ我慢して、「健康」を害し「仕事」に支障をきたしていたら元も子もありません。
「健康なカラダ」があって全てが成り立つことを考えると、やっぱり「健康第一」なんです。
「心身ともに」って言いますからね、余暇の時間を確保して楽しむことは欠かせません。
「健康」を損なわないライフスタイルが、充実した人生を送るための源なんだと思います。