こんばんは。ヨシヒコです。
「理想の人生」
30代になった頃、目の前の目標が無くなってから色んなことを考えるようになりました。
それまでは目の前のことに淡々と取り組んできただけ。
仕事も勉強も。
気づいたのは、目の前のことを必死にやることは楽なことだって。
いざ目標が無くなってしまったら何をしていいか、何をするべきかが分からなくなる。
そんな状態になってから気づきました。
自分がどうなりたいか?
何をしたいか?
何も考えていなかったってことですね。
ただ大企業に勤められたら良いとか
安定の公務員になれたら良いとか
そこに自分がやりたいことは存在してなかった。
本当に自分がやりたいことじゃないのに、知らないうちに他人の理想のために努力していたんですね。
だから、目標をもって努力することの大切さがわる。
でも、
自分はどうなりたいか?
自分は何になりたいか?
ここを明確にしないと何も得ることがない間違った努力になってしまう。
そんなことを30代になってから気づきました。
(遅すぎだろ!)
過去の日本社会は終身雇用に年功序列。
黙って目の前のことに努力して、上司の機嫌を取りながら退職まで我慢すれば、手厚い退職金と年金で老後を楽しむことができる。
これで良かったかもしれないけど、すでに夢物語ですね。
だからといって今からなにができるだろう・・・
考えれば考えるほど、できない理由が浮かんでくる。
長く刷り込まれてきた教育というのは、簡単に脳裏から消し去ることができません。
挑戦できない日本人の体質は、失敗が許されないという教育が元になってることが多いです。
失敗する要素があるなら挑戦しない。
失敗することが恥ずかしい。
自分に当てはめても、そのとおりだと思います。
でも「死」について考えたとき、なんでこんな小さなことで悩んでいるのか、自分に嫌気が差しました。
僕の数人の友達は病気によって、すでにこの世を去っています。
年齢はみんな30歳前後の女性です。
バツイチで子育てしながら頑張っていた女性もいます。
世の中は不平等です。
子供のために頑張っていたり、自分の目標のために一生懸命努力していたり・・・
それなのに、苦労が報われるどころか命を奪われてしまう。
まだまだやりたかったことがあっただろうな。
友達と遊んだり。
旅行に行ったり。
美味しいものを食べたり。
趣味を楽しんだり。
親孝行をしたり。
子供の成長を楽しんだり。
そう遠くはない未来に今の肉体はなくなります。
生きてるものに与えられた「死」という現実。
残り数十年しかない人生をどう生きようか?
真剣に「自分の人生」を考えたとき、他人の期待に応えるような生き方をしてたらダメだと強く思いました。
自分の意志で選択して好きなことを楽しむべきだ。
嫌いな人と一緒に過ごすのはやめよう。
仲の良い友達と過ごす時間を大切にしよう。
友達に頼りにされる存在になろう。
本当になりたい自分のために努力しよう。
どれも普通のことだけど、周りの常識に流されていては達成することができません。
日本が好景気にわいた時代であれば周囲に流されたままでも死ぬまでに、それなりの生活ができたかもしれません。
しかし、日本の現状はどうでしょうか?
景気が回復してると言っても見せかけの数字だけで、平均的に所得が上がっても物価は上昇してます。
景気が良いなんて実感できる人はほとんどいません。
令和元年度末の公債(国家や公共団体が負う債務)は約897兆円。
引用元:https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm
途方も無い国や地方公共団体の借金です。
国民一人当たり713万円の借金。
どう考えても返済の見込みがありません。
少子高齢化の日本は若い世代の負担が増すばかり。
人口減少にも拍車がかかり、経済力は落ちる一方です。
当然、僕らが収めてる年金なんて当てにできません。
そんな状況で「夢」を語ったり、志高い「挑戦」などできるでしょうか?
「安心・安全」に生活していけるでしょうか?
テレビの電源を入れれば暗い話題ばかりが目につきます。
また、個人を攻撃した話題も最近は増えてきました。
日本社会の歪んだ状態を感じることができると思います。
しかし、インターネット上を見てみると、昔では考えられなかった世界が存在しています。
「今では月収100万円」
「一日一時間の作業で悠々自適な生活」
そんな事あるわけがないと最初は疑いますよね?
でも、こんなウソみたいなことが現実に起きてる。
共通するのは「インターネット」の存在です。
インターネットの環境が整備され、個人がブログやSNSを使って多くのユーザーに情報発信ができるようになり、個人が影響力を持てるようになったからです。
今までは大企業や著名人しか持つことができなかった影響力を、一個人が持てるようになりました。
大企業のようにテレビ広告を流すなんて、個人が負担できるような金額ではありませんが、インターネットの世界ならそれができる。
簡単なことではありませんが、「可能性」は個人の努力次第でどうにでもできる環境は整っているなと思います。