どうも、ヨシヒコです。
時代時代で新しいものは生まれる。
働き方も余暇の過ごし方も、すべてが時代と共に変化するのは当然のこと。
インターネットの発展によって、ライフスタイルもワークスタイルも形態が大きく変わってきました。
一般家庭では子どもの習い事にかけるお金が増えているし、一部の大人が学びのための投資を惜しまなくなってきてる。
今まではモノの価値に人が集まり、物的欲求を満たす人が多かったけど、豊かになってきた国だからこそ、情報や知識などの教育を求める人が増えてきた結果です。
知識の定着をはかるためにも学んだ分だけアウトプットも欠かせない。
さらに、覚えたこと以上に教えようとする意欲も湧いていくる。
さらに学ぼうとする。
能力がほぼ変わらない人間なのに、非効率な学習プロセスだったり教育プロセスで進んでしまってる学校教育を経験している自分達。
型にハマり、感情や理論が固まってしまうことにより、学習効率を下げてしまってる部分もある。
学習の段階で弊害となるものが「知っている」「反対する」という意思を持ってしまうこと。
同じことだとしても、繰り返し新鮮味を持って聞く姿勢さえあれば、視点や着眼点が変わって新しいことを感じながらインプットできるようになる。
経験した人はわかると思うけど、同じ映画や本を2度3度観たり読んだりすると、その時の自分によって違うものが見えてきたり、新たな気づきが必ずある。
知っているという意識が先にくると、自ら学習ブロックをかけて以前の捉え方と同じにしてしまう。
これじゃ学ぶ姿勢としては勿体無い。
新しい情報だと感じながらインプットするためにも、同じ脳内フィルターを作ることなく、オープンマインドで受け入れる姿勢が大切。
小さい頃は謙虚だから、疑問に思ったことを素直に質問していたはずなのに、学びのプロセスが固定化されている。
年齢を重ねるほどに「知っている」という感覚や偏った知識が強化されて、学びに対する吸収率が悪く柔軟性に欠ける状態。
また、「反論」や「自己主張」も強くなってくるけど、物事は常に進化していくので固定化されてはいけない。
学習に終わりはないし、これが正しいと思い込むこともなくなる。
医学だってスポーツ科学だって、随分と変わってきているのは承知の事実。
だから、否定することよりも、そこから何かを作り出すことはできないだろうか?
という融合の考え方を持つべきだし、こういった考え方がパラダイムシフトを起こすので、「自分は何も知らない」と思うことの方が学習の向上と発見が見込める。
聞いたことがあると思った時点で、脳が学習モードから離れてしまうので、多くの学習を取り入れるためには反対する考え方は持たない方がいい。
信念は大切だと思うけど、次のステージへ進化させるためには、何でもかんでも信じ過ぎると変化はできない。
世の中で否定されていることやカテゴリー分けしていたものでも、融合を通して新たな発見や発明になることもあるので、「こうなんだ!」で終わらせることなく、このサイクルを次へ次へと乗せていく感覚を持つようにしたい。
時代がどう変化しようとも、学習と教育はなくならない。
堀江貴文さんのいくつもの書籍には
「これからは遊びが仕事になる」
と書いてある。
今まで人がしてきた仕事が機械に置き換わり、人が時間を持てるようになると、遊びが仕事になっていくんだと。
他人の理想の中で生きることなく、自分が求めている心の声を素直に聞き入れ、選択できる自分の権利に責任を持って常に新しい自分を求めて行動すること。
一貫性がないとダメなように受け止めがちだけど、逆に保とうとすると変化も進化もできない。
毎日が選択の連続で生きているので、感じ方や考え方の矛盾が起きないようにつじつまを合わせようとして生きているのが普通だけど、この習慣によって変わることに対する抵抗力が高くなっていることに気づかないとダメだと思う。
過去はこう言ってたけど、今はこう思うって考えがたくさんある。
発見があれば変化するのは当然のことなので、一貫性がなくなるのは自然なこと。
考え方や言動行動を別人にしたり、スキルと魅力を併せ持った人になるような変化や進化を与えたりして、学習者の一貫性を無くしてあげることが、本当の教育者の存在価値になると思う。