どうも、ヨシヒコです。
9月9日の早朝、入院していた祖父が亡くなりました。
6日金曜日の夜に面会して、帰り際に
「また来るからねー」
の問いかけに頷いてくれた爺ちゃん。
言葉は発することができなかったけど、頷くことはしてくれた。
今は感染症などの問題で簡単に面会することはできない病院。
病院側に予約を入れて一度に2名だけ。
土曜日も家族が面会に行って、日曜日は少し呼吸が楽になっていたという話。
日曜日は愛別町まで「キノコの里フェスティバル」にバイクツーリングへ行っていたので、夕方に実家へ行ってそんな話を聞いていた。
じゃあ火曜日に行くから予約しておいてね〜
って帰宅した翌日の朝、もう血圧も下がって・・・
という妹からの連絡。
数分後に死亡確認を受けて生涯を終えてしまった爺ちゃん。
みんなのために、この日まで耐えていたのかと思わざるを得ない。。。
すぐに実家へ行って無言の帰宅を迎える準備。
帯広の姉と旭川の弟も家族で来て、生前に爺ちゃんが言ってたとおり、孫とひ孫も含めて楽しく食事をしながら自宅で最後の夜をみんなで過ごす。
翌日の火曜日。
午後には納棺のため、従兄弟の直一兄さんも札幌から家族でかけつけてくれた。
爺ちゃんの子供にあたる明美おばさんと父の吉美。
その子供にあたる僕たち孫は、ひとりを除いて全員集合!
納棺の時にはリンの音を途切らせないように鳴らし続ける儀式の担当が僕。
ちょうど秋祭りの行列が太鼓の音とともに家の横を通過するという、なんともまぁ偶然が凄すぎる。
秋田生まれ秋田育ちの爺ちゃんは祭りが大好きだった。
歌も上手いし絵も驚くほどの腕前。
それが後の出来事に繋がってくるんだけどね。
会場への移動時間を迎えて、みんなで自宅からお見送り。
もうこの家には爺ちゃんの肉体が戻ってくることはないと思うと寂しい。
いろいろと複雑な事情を抱えているなかで、本当に爺ちゃんにはお世話になったし可愛がってもらった。
しかしながら、寂しい思いもさせてしまったことが心残りで・・・。
裸一貫で長谷部家の今後のために、60年以上前に秋田から移住してきてくれた「深(ふかし)」じいちゃん。
独学で経験を重ね、独立して長谷部鉄工を経営。
旧藤丸デパートの建設にも関わっていたことは前のブログでも書いたとおり。
千代田堰堤や札内川の砂防ダム、広尾の十勝港など、溶接工として現場で泊まり込みながら働いていたな〜。
その当時は日曜日に帰ってきてるかどうかくらいで、月曜日から土曜日まで家にはいなかった。
朝から晩まで仕事の毎日を送っていたと思います。
高度経済成長を支えたひとりとして尽力していた爺ちゃんを誇らしく思うところです。
今回は西帯広のベルコで家族葬となりましたが、長谷部家の貸切状態。
お通夜は近い親戚がみんな集まって過ごしました。
時間が経つにつれて少なくなるのは当然のこと。
自分は最後まで爺ちゃんの横で起きてるつもりが、最後に1人残されたら椅子で寝落ちしてた(汗)。
爺ちゃんごめんなさい!
1時間か2時間で起こされたけど、2度寝してる時間はなし。
コーヒー飲んでシャワーを浴びて朝食をいただいて9時から告別式。
冷静に迎えたかったけど、お経が終わって出棺の準備に移るタイミングで涙が止まらなくなってしまった。
最後のお別れ。
遺影を持ってバスに乗り込み芽室町の斎場へ。
煙突を眺めながら、残される遺骨を拾い上げる時間を待つ。
みんなで丁寧に爺ちゃんへの感謝を持って骨箱に収めさせていただきました。
ベルコに戻って繰上げ法要が終わり、小さくなってしまった爺ちゃんの帰宅。
僕がみんなを代表して蝋燭を灯し線香をあげる。
その後は一度帰宅して、銀次郎と咲希を連れてもう一度実家へ。
犬が大好きだった爺ちゃんだったから。
その間に蝋燭がこんな状態になっていたって話です。
渦を巻き出す蝋燭。
次第に形を変えていく。
コレが何を意味するのか?
背後には爺ちゃんが描いた龍神様が飾られています。
ネットで調べてみたら「龍神様のご加護がある時にあらわれる」とか。
これからもずっと見守っているよという爺ちゃんからのメッセージでしょう。
長谷部 深(ハセベ フカシ)
享年92歳
深定寿徳清居士(しんじょうじゅとくせいこじ)
宗派は曹洞宗。
「輪廻転生」という言葉の意味が深くて、肉体は無くなっても魂は生き続ける。
という考え方。
その魂を現世で成長させ、それを繰り返していく。
だから、人間はなんのために生きてるのか?
との問いには、人生は魂の成長をさせるためにあるもの。
そう考えることができる。
それを知ると、ワガママな生き方はできないし、年下に対してはもちろんだけど、恥ずかしい生き方はできないし、見本となるような人間に成長していく努力が必要なんだなと感じます。
そういった意味では、敵を作らず、自分のことは二の次で、何かに貢献することを最優先していた爺ちゃん。
その背中を感じることが爺ちゃんの生きた証であり、それを学ぶことも残された僕たちの使命でもあるなと。
まだまだ未熟な自分だし、まだまだ学ばないといけないことがあり過ぎる。
爺ちゃん、約92年間の生涯は苦労が多く忍耐の時間が長かったよね。
残された僕らは感謝しかありません。
長い間、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
多分だけど、また来世もヨロシクです!