どうも、ヨシヒコです。
何をやっても上手くいかない・・・
誰だってそんな時はある。
逆に、いつでも上手くいく。
そんな生き方もいいかもしれないけど、すべて上手くいくなら努力はいらないし考えることも必要ない。
こんな状態だったら生きていてもツマラナイと思う。
上手くいかないことを知っているから、上手くいったときの喜びを知る。
なにごとも陰と陽、表と裏があるので、どちらかだけを求めるなんて成り立たない。
紙一枚、コイン一枚とっても、すべて表と裏がないと成り立たない。
それと同じことだと思う。
だから、生きていくために考え行動できるスキルが必要なんだと思う。
まずは「知る」ということが最初かな。
知ってるだけで行動しない人も多いけど、人は知ってることを元に「行動」する。
本来知識というものは役立てるのが目的だから。
行動から結果を得ることが全ての始まりだし、
「知る」から「できる」というスキルに進化させるのも行動しかない。
ただ「知っている」だけでは「結果」がない。
だから行動がなければ理解もできない。
親子の会話でよく見られる光景だけど、「知ってる」と反発する子供は行動してないから「理解」には達してない。
「知る」と「理解」の違いには行動の有無で判断できる。
行動がアウトプットだから、理解の過程の中には「失敗」も当然ある。
記憶の定着にはアウトプットが不可欠だから、失敗をするのは当然のことであり、その失敗を生かすか生かさないか。
最終的にスキルを教える側になっていくのが人としての役目になっていくけど、教科書や人から聞いた話だけでは明確に伝えていくことは難しい。
学校教育の中で教えてる「先生」と呼ばれている人たちも、大人としてはそれなりの道を歩んでいても、教えてることは教科書や上からの文書を伝えているだけだったりする。
失敗が少ないまま育ってきた大人は多い。
失敗を許してもらえない教育環境だったから。。。
そんな失敗を経験していない人に失敗を重ねてきた人のことなんて理解できないのではないか?
自分の立場を一生懸命守ろうとする人達が多いから、子供達のためだと思っても、その場の空気に合わせるだけで自己主張ができない人は多い。
枠からハミ出しちゃダメって教育を受けてきたから、自分がしてきたことを、そのまま子供達に教える。
失敗という言葉だって、エジソンのように捉えることができたら、すべてはポジティブになる。
「挑戦に失敗したんじゃなくて、その挑戦の方法では達成できないことを知っただけ。」
物事は常に違った角度で考えられると、ポジティブにもネガティヴにも捉えることができる。
だから、思い通りにいかないのは当然のことだし、経験を重ねて生きることこそ、人間として生きる意味なのかなぁと。
全ては自分の心の捉え方で、幸せにも不幸にもなれる。
それも、人間だからできることだと思う。