こんばんは。ヨシヒコです。
諦めも肝心だ。
確かにそうだと思う。
でも、やってから諦めるか?
やらないで諦めるか?
これはまるっきり違いますよね。
「どうせ・・・」
この考えが染み付いてしまうと、本当に何もできなくなってしまう。
決めつけや思い込みによって、思考が「できない」になってしまうと、「できる」理由されも見つけようとしなくなる。
本当はできるのに、自分で可能性を潰してしまうなんて本当に馬鹿げた話になってしまう。
だから、とりあえずやってみる。
その背中を見てる子どもは、当然のように「チャレンジ」すること、「トライ」することが普通になる。
大人の姿がすべてかなと。
人に会っても挨拶できない子供がいたとしたら、それは親がしてないから。
人をバカにする子供がいたとしたら、それは親が他人の悪口を言ってるから。
人を大切にできない子供がいたとしたら、それは親が子供を大切にしてないから。
だって、子供は何も知らない状態で産まれてきて、最初に親と出逢い、その中で言葉や愛情を覚えて育っていく。
大きくなるにつれて、接する友達の影響も大きくなるけど、基本は親だ。
とはいえ、中学生・高校生くらいになると親と接してる時間も減ってくるので、友人や親以外の大人が与える影響は次第に大きくなってくる。
でも、大人と接することは避けてる子どもたちも多いかな。
部活もアルバイトもしないで仲の良い友だちだけで過ごしていると、自分たちの世界が普通だと思ってしまう勘違いが生まれてしまう。
そこに良識ある大人が関わっているなら話は別なんだけど、世間的なルールを無視する人たちは存在するよね。
「類は友を呼ぶ」ってやつだね。
一人じゃ何もできないけど、集団になると力を発揮してしまう・・・。
そのエネルギーを違うところに向けられたら良いんだけどね。
それが、親以外の大人の役目だったりするんだよな。
そう思いながら自分が育ってきた環境を振り返ると、関わってくれた大人の存在が本当に大きい。
親以外の大人からも叩かれたことは何度もあるけど、小さい頃は体も態度もデカかったから仕方なかったかな(笑)
理不尽だなと思うことは沢山あったけどね。
そのへんは耐えてきたつもり。
だから斜に構えることが習慣的になってしまったのかな。
このあたりも、僕が受けてきた「教育」のすべてだなと思う。
でも、30代くらいになると気づく。
親の影響も無くなり、学生時代に影響を持っていた大人と離れることができれば、今まで刷り込まれていた「価値観」って一体何だったんだ???
って状態。
これは、書籍を読んだりネット上にある膨大な情報に触れていたら自然と気づいてくる。
いろんな世界が存在するのに、過去の価値観から決めつけてるのは「自分」なんだって。
やりたいことがあるにも関わらず、行動をするのもしないのも決めつけてるのは「自分」なんだって。
視野を広げると、いろんなことに気づく。
ある意味で、「会社」というところは外の景色を見させないようにして、社畜になるように教育するシステムが組まれている。
「年功序列」と「終身雇用」が典型的な例。
長く働いても給料は上がらないよ。
会社に利益をもたらしたら上がるから。
会社の経営が傾いたらクビね〜。
って最初から言われていたら、転職も視野に入れてスキルアップするし、業績を上げるための無駄を排除するよね。
でも、「はいはい」と言いながら、逆らわずに仕事してたら給料が上がっていくなら楽だし、こっちを選択してしまう。
「思考停止状態」とはこのことだよね。
だから今、大企業は上記に該当する年代の社員を積極的に退職させようとしてるよね。
給料を払い続けるよりも、ちょっとでも上乗せして辞めてもらったほうが、会社にとっては利益になるから。
経済の低迷が叫ばれてる日本。
これから必要なのは、どこに勤めてるか?
何の資格を取得してるか?
よりも、
世の中にこんな価値を提供できます!
というスキルを習得することが大切なんだろうなと思います。
誰もやりたくないことや誰でもできること、危険な仕事や単純作業ほど、AIを活用した機械に置き換えられて行くんだろうなと思います。