こんばんは。ヨシヒコです。
こんなはずじゃなかった・・・
なんでこんな状態になってるのかな・・・
あの時のほうがまだ良かった・・・
そんな過去を振り返ることもあるかもしれませんが、なんだかんだで過去なんですよね。
もう変えることはできない。
でも、過去の事象に対して「捉え方を変える」ことなら誰でもできる。
例えば、過去の失敗があったから、今の成功がある。
みたいな話なんだけど、世の中にはまともに学校に行かなかった過去がありながら、会社の経営者という人は結構いる。
過去の失敗に気づき、
「このままじゃダメだ・・・」
と思って行動した人もいれば、
「みんなと同じじゃなきゃダメという常識に囚われることが嫌だった」
という人もいるだろうし、理由は様々。
だから、学校に行かなかったことがダメなことじゃなくて、人それぞれに創られた「価値観」が間違っているだけであって、過去がどうだったかは関係ない。
過去を失敗で終わらしたり、あの時こうしていたら・・・
じゃなくて、今の成功は過去の失敗があったからだ。
あのときの選択は間違っていたけど、それがあったから今になって気づけることが増えた。
とか、「捉え方」でポジティブにもネガティブにも変えることができる。
だから、過去を嘆いても仕方ない。
それも自分の価値観でしかないから。
プラス方向に使うのも、マイナス方向に使うのも、本人次第。
だって、今の自分を創り出してるのって結局のところ、自分の価値観なんだよね。
自分の行動を選択してきたのは自分でしかない。
他人がどうこう言ったから・・・
という理由があっても、自分が選択してきたこと。
これを受け入れてから、今の自分に満足できていないのなら違う価値観を取り入れるしか手段は無い。
だから僕は過去の価値観を捨てた。
そしたらどうなったか???
本当にストレスから開放され、自分の選択で生きてることを実感し、「生きる」という意味を考えた。
人間はなぜ生きるのか?
生きるという前に、なぜ産まれるのか?
仏教の教えには
「輪廻転生(りんねてんしょう)」
という教えがある。
簡単に説明すると、死んであの世にに行ってしまった魂が、この世に何度も生まれ変わってくること。
僕は宗教家ではないけど、これはそうだなと思ってるところがあって、自分の肉体は借りているもの。
魂が選んで今の肉体にいるだけじゃないかって思ったり。
だから、もし苦労や困難があったときには、その魂を成長させるためのタイミングだから、逃げることはできないし、逆に、乗り越えられる困難しか与えられないと言われていることもツジツマが合ってくる。
そのために産まれてきたという考えが前提にあるから。
そう考えると、年齢なんて関係なく、いつでも気がついた時に変化することから逃げたらダメだなって。。。
そのキッカケを作ってくれたことに感謝して、行動に変えないといけないなって。。。
現実を変えられないことに嘆いてばかりじゃ、魂の成長は一つもないとしたら、何のために産まれてきたのかって思っちゃう。
人間は皆、幸せになるために産まれてる。
誰も不幸になるために産まれてきてる訳じゃない。
でも、幸せな人もいれば不幸な人もいる。
なぜだろう?
個人的な考えにはなってしまうけど、見た目でそれを判断することはおかしなことだ。
周囲から幸せそうに見えても、本人は幸せを感じていなかったようで、この世を去ってしまう人もいるし、不幸に見えても幸せだって言いながら生きてる人もいる。
すべては価値観なんだよね。
その価値観によって幸せと不幸が自分の中で決まるとするなら、「捉え方」を変えて、新しい「価値観」を積極的に受け入れていくしか方法はないと思う。
それだけで随分と世の中の見方も変わってくるし、僕なんかは過去の過ちの深いところまで随分と気づいてしまった。
取り返しのつかないことをしてしまったけれど、本当に多くの人を傷つけてしまった。
だから思うのは、気づいたからこそ人が喜んでくれることを積極的にしたい。
それを探すことも生きる理由なんだろうなって思います。