どうも、ヨシヒコです。
アウトドア活動をしないで引きこもっているときは、Amazonプライムで映画を観るか本を読むか、併せて飲んでるか。
そんなもんです(笑)。
西村博之さん。通称「ひろゆき」さんをご存知の方は多いと思いますが、ネットなどの記事でよく出てくるので僕も気にして見たり読んだりするのですが、腑に落ちることばかりなんですよね。
例えが上手いのもあるんですが、すでに「ひろゆき」さんが話すだけでスッキリしたオチがあると思えてしまう。
これって大きいですよね。
なぜか?
論理的に事実しか基本的に話さないから。
そして、主観に対しては「思う」という言葉を使う。
決して「絶対」などは使わない。
これね、僕もよく使ってしまう「絶対〇〇でしょ〜」とかを使わないということ。
「絶対」を使ってしまうと、その後の会話で「論理と事実」によって論破されて終わり。
例えると、あの時見た〇〇は絶対「赤」だった。
と言っても、この写真見て、違うよ!
って事実を出されたら終了。
でも、あの時見た〇〇は「赤」だったと思う。
と言えば、そーだったんだぁ勘違い。
で終われる。
確かではないことに「絶対」を使ってしまうと「事実」を説明することができないし、「事実」を教えられたら議論にもならないってことです。
もちろん「事実」なら「絶対」を使ってもいいんだけど、主観的な話に「絶対」は使えないよなって思います。
あとは、「主観」に関する議論をしないこと。
まぁ「あそこのコレが美味しい」とか、「このメーカーが好き」とか、「主観」に関しては個人の好みだったりするわけで「正解」が無いことを議論するのは馬鹿げてるってことです。
飲食店の「口コミ」なんかも同じで、美味しいと思う人が多ければ人気が上がるけど、どんなに客が少なくても「ここは美味しい」という人もいる。
その人に「ここは不味いよ」という主観の議論は成り立たない。
とりあえず、「論破力」ってなんだ?
ということですが、「事実」と「論理」に基づいて「説得力のある話し方」ができることですね。
「冷静さを欠いた発言は論理性を欠くので説得力が低下する」とも書かれているので、感情的になることもダメ。
これは経験あるよな〜って思います。
相手が感情的になってる時こそ冷静に「こいつアホだな」くらいに思うようにするべき(笑)。
僕のために大切な人生の時間を使って攻撃してくる人に対しても「暇なんだろうな〜」って最近は思うようになりました。
本当に捉え方次第でなんとでもなる。
そんな内容も書かれてますし、相手が感情的に怒ってる時は、とりあえず20分くらいトイレに行かせてもらうとか(笑)。
感情的に怒るのって続きはできないからだそうです。
なるほどなって思いますね。
そんな内容が書かれてますが、議論することって大切だと思うのと同時に「関わってはいけない議論」もあるんだなと思いました。
「私は傷ついた!」という感情などは議論で覆すことは難しいですからね。
先ほども出てきた「主観的なこと」ですから。
そんなわけで、くだらないことに巻き込まれたくない!
と誰もが思うところではありますが、無差別攻撃してくる輩は必ずいますからね。
気をつけようがないかもしれませんが「会話ができる」って大切なことですね。
まともに「会話ができない」というのは「議論すらできない」ということなので、そのような相手は・・・
はい。お任せします!