どうも、ヨシヒコです。
なんか最近思うな。
「差別」って言葉を簡単に使う人がいる。
差をつけて分けてるなら「差別」だけど、基準があって順番に並べたり、その基準に達しないものは受け入れることができない。
だから、「区別」するのは当然だと思うんだけど・・・
「差別」って言葉が当てはまることと、当てはまらないことがある。
なんか文句あることに
「差別だ〜」
って訴えても、それは「区別」であって、差をつけて評価してることはあまりないのが現状ではないでしょうか?
一人でも声を大にして、しかもそれをマスコミが取り上げたら大きな問題のように世間には知れ渡る。
でもそれは、ごく一部の話がほとんどで・・・
平等という言葉の意味ってなんなんだろう。
だって、学力差のある学校ならどう?
高いレベルの生徒に合わせて授業を進めたら、学力の低い生徒はついていけない。
逆に、学力の低い生徒に合わせて授業を進めたら、学力の高い生徒にとって伸びしろを潰すことになる。
この現実ってどうでしょう?
だから、学力に合わせた学校の入試という制度がある。
でも、定員が割れる学校っていうのは、問題が山積み。
できる生徒にとっては高みを目指していても、学力の低い子に合わさざるを得ない授業に退屈してしまう。
学力の低い子に手厚いサポートをする必要もあるというのは当然かもしれないけど、そもそも学力に合った学校を選択する必要があるのでは?
高校生とはいえ、小学生で習うような基礎的なことを覚えてない生徒もいるみたいだし、その基礎学力というのは義務教育の中で形成されてるものですよね?
ここから考えたらどうだろう?
学力の高い子が、学力の低い子に合わせて退屈な授業を受けているとしたら、これは「差別」なんじゃないかって・・・
もっと高度な学びを得たいと思っているのに、それを求めても学力の低い子に合わせて授業が展開されてるなら、その生徒のモチベーションを下げて、知識・技術の習得を阻害してることになる。
これを無視して、学力の低い子に合わせて授業を展開するとしたらどうかな?
それこそ「差別」なんじゃないか?
って思ったりもする。
弱者を守ることが正義のようになってる日本だけど、これはね、「資本主義」という日本国の仕組みの中にいるんだから、社会の仕組みそのものが競争なんだよな〜
って思う部分もあったり・・・
逆に、そういった基礎学力も身につけていない生徒に対して、簡単に進級させてしまう、高等学校という「高等」な学校に進学させるのに基礎学力も身についていない生徒をエスカレーター式で進級させる国の教育制度の問題もあるんじゃないかな????
って、はてなが4つついたけど、ゲームと同じようにクリアできないと次に進めない!
そんな制度があってもいいと思う。
そうしないと、ただ進級して学ぶ内容が高度になり、さらについていけないだけ。
そのまま「勉強ができない」「頭が悪い」などとレッテルを貼られた状態で社会に放り出されることの方が、子供にとっては可哀想な現実じゃないかな。
留年することが悪のようだけど、学びが浅ければもう一度勉強し直してもいい。
人生100年時代の長い社会人生活を考えたら、簡単に進級させるよりも、1年や2年多く学んで基礎学力を定着させることの方が大切だと思うんだけど。
日本の教育のいいところが失われつつ、悪いところはそのまま残ってる。。。
まぁ僕なりの考えなんだけど、教育機関の「当たり前」なんて、世界から見たら変なところがたくさんあると思ってる。
服装だって日本は「制服」がほとんどだけど、外国は違ったり。
多民族じゃないから頭髪も厳しい。
ルールを守らせる教育だから。
なんかその辺は自由にしていってもいいのかなと思うけど、そういう生徒に限って生活が乱れていたり、態度に問題がある生徒が多いからかな。
たまたま教育の話だけど、「差別」と「区別」が混同したらダメですね。
その他にも問題山積みの日本だなと感じます。