どうも、ヨシヒコです。
日本型の教育って
「失敗しないこと」
が大前提。
これは自分の育ってきた環境もそうだったから納得してしまう。
でも、最近になってよく言われるのは
「成功体験」
ですよね。
それが大切だというのは何となく知っていたけど、誰もが成功できるまでチャレンジできるわけじゃない。
しかも、成功を得るまで諦めてはダメ!
なんか腑に落ちないことでもあったんだけど、誰でもできることってなんだ???
って考えたら
「失敗!」
することなんですよね。
でも、失敗を避けようと必死になる。
失敗したくて失敗するわけじゃないって誰もが分かっているのに・・・。
だからチャレンジしなくなる。
僕自身も過去を振り返ればそうです。
とにかく失敗は恥ずかしいと思うし、失敗したあとの周りの反応とか怖いですよね。
これはプライドも関係してると思うけど、無難に生きてくると尚更受け入れられないのが失敗なんですよね。
これは小さい頃の育った環境が影響してる。
人を平気で馬鹿にする親がいたらそうなっちゃうなって思ったの。
だからこそ、この言葉に納得してしまったわけだ。
「失敗したときでも安心できる体験」
失敗しても大丈夫だ。
味方になってくれる人はたくさんいる。
誰かが支えてくれる。
そう思うことができたら、失敗なんて怖くもなんともない。
逆に自分で笑いに変えられるくらいじゃないかって思ったんですよね。
もし失敗が許されるなら若いうちに沢山しておくべきなんだよ。
大きな成功がひとつふたつあったとしても、失敗に対する恐怖心が大きかったら意味がない。
失敗した時の恐怖心が小さくなる経験を多く積んだほうが、大人になってから間違いなく生かされる経験だ。
それが本当のチャレンジ精神となるから。
だから、どんな環境で育ってきたかは大きな違いがある。
逆を言えば、教育環境がその人の人生を決めてしまってることもある。
さらに、失敗は小さい頃に重ねたほうが時間的節約にもなるってこと。
経験しただけ判断材料も増えるし、失敗という点をたくさん持つことで、点と点が線で結ばれることもある。
ひらめきなんてものは、経験でつくられた点と点が結びついて出てくるようなものだから。
人生をより豊かに生きてもらいたい!
そう願う大人であれば、若い人に失敗を経験させることができる寛大な心を持ちたいですね。
でも、その判断が難しいのもある。
見守ることと放任は違うし、個性や自由を履き違えてる人もいるからね。
挨拶も返事もできない、人の話を聞こうともしない、これは個性でもなんでも無いと僕は思うから、心の教育をとおしてチャレンジすることの重要性を説いていけたらなと思います。