どうも、ヨシヒコです。
人はなんのために生まれてきてるのか?
死を迎えるほとんどの人が
「もっと・・・しておけば良かった!」
調査の結果80%以上の人がそう答えているそうです。
日本の納税額1位になり、その後も上位にランクインされている銀座まるかんの創設者、斉藤ひとりさんの本を何冊か読ませていただきましたが、
「人は幸せになるための修行をしに、この世に生まれ出てきた。」
同じようなことが、ほとんどの本に書かれています。
また、
「自分を愛し、他人を愛する。」
これも同じように書かれています。
こういうことを平気で言えるところも凄いけど、抵抗なく受け入れることができるのも斎藤一人さんだからでしょうか。
僕は・・・の話ですが。。。
地球全体の幸せの量を考えれば、自分が不幸せなのに、他人一人を幸せにしても世の中全体で考えれば、自分一人が幸せなのと変わらない。
だから、まずは自分が幸せになってからじゃないと他人を幸せにすることなんて無理だと。。。
楽しい人と一緒に過ごせば自分も楽しいし、いつも人の悪口や愚痴ばかり言ってる人といたらちっとも楽しくない。
それと同じで、自分が幸せに生きているなら、一緒に過ごす人も幸せになれるのではないか?
僕はそういう考えに辿り着いた。
だから、無理して嫌なことを我慢する意味ってないんだなと。
小さい頃からの教えって、嫌なことでも我慢していれば、最後にいいことがある。
なんて言われていたけど、嫌なことを我慢しているうちにストレスが溜まって、鬱になったり、病気になったりする人がほとんどじゃないかと思う。
我慢することに馴れるということは、自分の思考を停止させ、言われたことを忠実にやり遂げる。
そこで作られたストレスが、他人に向けられたり自分自身を傷つけてしまっている世の中かなとも思ったり。
自分が生まれてきた意味、そして誰もが幸せになる権利というか、これは義務なのに、我慢することを間違えてしまっている。
幸せになるために我慢する。
そして忍耐力が求められる。
それは、愚痴を言わないとか人の悪口を言わないとか人を傷つけないとか、思い通りにならないからといって他人に当たったり嫌がらせをしたり・・・
挙げたらキリがないけど、そういうことをしないようにする我慢だったり忍耐がそういうことなんだと思う。
それなのに、我慢や忍耐は嫌なことに対してするものだと思い込んでいる人は多い。
我慢とは、決して嫌なことに耐えることではなく、自分を幸せにするためのものなんだと斎藤一人さんから教わった。
だから、好きなことを全力でやる!
楽しい時間を自分で作り出す!
子供の時は、それなりに好奇心もあったし、なにか楽しいことをしていたらずっとやっていたかった。
あの時の気持ちを思い出して、何事にも挑戦できる思い切りの良さを身につけていくことが、幸せに生きる唯一の方法だと思う。
大人になるほど、できない理由ばかりが頭をよぎる。
どうすればできるか?
よりも、できない理由をとっさに考えている時がある。
それじゃ何も前には進めないし、良い方向に変わることもない。
夢を語れる子供たちが減っている。
それは大人の責任なんだなと強く思う。
影響を与えられる大人こそ、子供心を忘れていない大人。
そんな大人を目指していきたい!