どうも、ヨシヒコです。
昔からの流れというか野球界の体質に疑問を持つことが多くて、この世界でずっと生きていくのは苦痛だな〜
と思ってたんだけど、一生懸命やる選手に心を動かされ、自分も一緒になって追いかけた時期はあった。
でも、結局は組織の中にいる一人なので、上の人の権限で簡単に転勤や移動になってしまう世界。
公立高校が部活動で強くなれない理由の一つは顧問の転勤が多いこともある。
ある人に言わせると、
「部活動は人事と関係ないから!」
でも、人によっては
「部活動が人事に関係ないってことは無い!」
という人もいる。
まぁ、いずれにしても人によって言うことが違う。
決まりはないのに、権力を使って自分に都合のいいように伝える。
これが力を持つ人の特権。
そのような人に素直に従うことができない性格なので。。。
それを機に辞めた野球の指導者の道。
のはずが幼馴染みとの縁があったりで、地元の中学硬式野球チームで教えることになり、そのときの選手が白樺学園に入学。
それをきっかけに練習試合の審判などでグラウンドにお邪魔するなど野球界からは抜け出せないみたい。
中学の硬式野球は現在行っていないけど、来年からは復帰予定。
その理由は・・・・この先を読んでもらえたらなんとなくわかってしまうかな(笑)。
そんなこともあって、教育の問題や指導の問題など、スポーツに関することで世間の話題は多い。
でも過去と比べたら、はっきり言って体罰はほとんどないのが現状だ。
ただ、過去は大した話題になっていなかっただけで、1度や2度くらい叩かれた経験がある人の方が多いと思う。
僕も叩かれた経験はあるけど、全てが体罰だとは認識していない。
基本的にヤンチャなことはしてたし、生意気だったし、叩かれる理由もあった。
確かに指導者の機嫌で言ってることがコロコロ変わったり、何度も何度も叩いたり蹴ったりは明らかな体罰だと思う。
(ちなみに僕は手足を出したことは一度もない・・・意外だと言われるけど)
でも、当事者同士が通じ合っていてもメディアが騒げば体罰は体罰でダメなものはダメと騒がれる。
見たこと聞いたことを関係ない人までもがメディアや上の組織に言ったり。
おかしな世の中だと思う。
あるいは暇な人が多いのか、他人の不幸を望んでいる人が多いのか。
大小問わず風潮によってネタになれば、小さいことでも引きずり出してきて騒ぐ。
平和ボケなのかなんなのか・・・便乗する人も多い。
褒めるだけで教育が成り立つとしたら、日本の昔からの教育は全否定することになるのでは?
と思うのは僕だけかな。
修行や忍耐なんて言葉も無縁だし、我武者羅(がむしゃら)に血眼(ちまなこ)になってなど、言葉は古いけど発した時点で体罰とか強迫になるのかな。
イジメの問題だって、相手がイジメだと感じた時点でイジメが成立してしまう現代。
上司に嫌なことを言われたと感じた時点でパワハラか?
関わらないようにすれば「無視される」と言われ、これもイジメになる。
じゃあなに?子供達は付き合いたくない人にまで気を使って接しないとダメってこと?
大人の社会の方がよっぽどイジメや仲間外れを作ってると思うけど。
その大人たちを見て育つんだから、子供たちだってするでしょう。
なんだか教育の矛盾。。。
被害者側は何かあると学校のせい。。。
いやいや、世の中がそうなんじゃないの?
メディアなんて話題に上がった人をこれでもかって大衆心理を煽ってまでいじめてるよ。
しかもインターネットの発展によってスピードも人の数も以前とは大違い。
このいじめの問題は保護者と学校内では収まらず国全体の問題であり、個人がもっと強く生きなきゃダメだって教えが必要だと個人的には思う。
個人の強さがあって、はじめて他人に優しくできると思うし、助けることだって出来る。
偽善の優しさみたいなものは必要ない。
いざとなった時に本当に助けてくれる人。
それが強い人であり優しい人だと思う。
人に合わすことが優しさみたいな勘違いもある。
もっと個人が強くならないと、周囲に流されながら国や組織、他人に頼って生きる人ばかりになる。
本当にそんな国を作っているんじゃないかと強く思う。
社会に出た途端に「自分の力で生きなきゃダメ!」
なんて言われても、経験がないんだから出来るわけがない。
いつまでも子離れ親離れできないような環境を自ら作っている。
金八先生でなるほどと思った感じの意味。
「親」という字は「木の上に立って見る」と書く。
これが見守るという意味にもなる。
同じ目線であーだのこーだの言ってるのは親じゃない。
たくましく生きることって、どこで誰が教えてくれる日本なのでしょうか。
環境を変えながら、出会う人、関わる人によって人間は成長していく。
人という字は人が立っている姿をあらわし、人間は、その人と人の間にいて成り立つ。
でも、これを無視するモンスターペアレントも話題にあがる。
家族の感覚をそのままにして組織に持ち込んじゃう人。
親バカを通り越えて一人の人間としてどうなの?
って人もいる。
誰かがキッカケを作ったからと便乗する人もそう。
自分一人だったら何も言わないのに、誰かが言い出すと便乗する。
メディアに煽られる国民性はこういうところにも出てきてる。
メディアに操作されやすいから、騙される人も多いし、大勢が弱者の体質になってしまうから、自分より上の立場の人が不幸になると過去の功績なんて忘れて態度を急変させて攻撃をはじめる。
そんな大人社会を見て育つ子供達は、今後どうなるのかな。
思い通りにいかないことは文句を言いなさいってこと?
強いものには弱者で手を組んで攻撃しなさいってこと?
怒られなければ何をしても良いってこと?
これらを教える場所がどこなのか?
学校の先生だけじゃなく、大人に力がなくなってる。。。
それこそが、とても大きな問題だと思うのだけれど。。。
だから逞しく育てようとしてる場所を見ると嬉しく思うし、子供達も自分を高めるために必死になって取り組んでる姿を見たら応援したくなるのは当然のこと。
この子供達は立派な社会人になる手前の段階を間違いなく歩んでいるなと多くの人が感じるはず。
今は身近で見させてもらってる高校野球はまさしくそれ。
選手と指導者が目指していることは同じ。
さすが私学だなと。
ここに選手たちの前向きな姿勢を感じることができるし応援されるような集団だと思う。
レベルの高い選手が集まり、その中でレギュラーを獲得するには肉体的にも精神的にも厳しい世界だと思う。
「自分の息子が・・・」
そんな保護者がいるとしたら、申し訳ないけど本当にいらない。
息子が大きく成長するチャンスなのに、保護者が間に入ってしまう。。。
どうぞ家族で思い通りになる夢の国でも作ってくださいと言いたい。
世界があって国があって地域があって組織があって。。。
それぞれにルールや決まりがある。
それを無視してしまうことが問題だ。
組織にとっても子供にとっても、いい方向に進むことなんて何一つないってこと。
私学には成績も求められるので指導者側に求められることも大きい。
でも、この辺がちょっと変わってきたのかなと思うのが、甲子園がすべてじゃなくて、大学、社会人、プロ野球というレールを視野に入れて育てていこうという考え方だ。
その途中に甲子園というものがあるという考え方になるし、高校でレギュラーになれなくても上でチャンスはいくらでもある。
そう思えば野球に見切りをつけることなく、その先を見据えて野球と向き合っていける。
素晴らしい環境だなと素直に感じる。
黙っていても競争はうまれ、相手の良いところは盗もうとするし研究もする。
個の力を高めつつ、どうやってチームという集団に貢献できる選手になれるか?
個の力を高めない限り、レギュラーといえども凡ミスひとつ、私生活のだらしない部分が知られるだけで、指導者だけじゃなく他の選手からも信用を失ってしまう世界。
常に緊張感がある中で生活している習慣が身についているから大人の雰囲気すら感じられる。
学校生活はわからないけど、少なくともグラウンドにいるときにヘラヘラチャラチャラしてるような選手は一人もいない。
昨年は北北海道大会の決勝戦で惜しくも敗退。。。
いい夏になることを期待しよう!
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