どうも、ヨシヒコです。
勉強ができないだけで劣等感を感じる必要はない
高度経済成長期は確かに、学歴を持つほど有利だったと思う。
いい高校、いい大学、いい企業、退職後は悠々自適に年金生活。。。
そんな一つのパターンがあったのは事実。
でも今は寿命が長くなり、以前の金銭感覚のまま生活をしている退職者たちが、老後破産に追い込まれてるなんて話もある。
(本も読ませてもらったけど、結構深刻な問題)
バブル時代を経験した人たちにしかわからない過去
今は好景気になってきたと言っても、それはごく一部の企業の話で、物価の上昇や増税など、経済的な余裕を感じてる人は少ない。
情報格差だけじゃまく、経済格差も広がりつつある。
医療の発達とともに、寿命はどんどん伸びるし、国が医療の補助を行なっている健康保険の財源もかなり厳しくなってくるのは想像に難しくない。
話は逸れてしまったけど、そもそも勉強ができるって言われるのは、テストで高得点が取れること。
ほとんどの人が暗記力さえあれば、高得点を取ることは可能だと思う。
問題に対する答えは基本的に授業で教えてもらったことばかりなので、暗記力こそがテストの点数に直結する能力だとも思う。
でも、社会に出てから経験することのほとんどは教科書に出てこない。
じゃあ、何のための勉強か?
人を点数で優劣をつける仕組みが楽だった時代だから?
勉強することが幸せになるために必要だから?
それとも、福沢諭吉さんによる「学問のすゝめ」の影響から?
以下、ウィキペディアから引用
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり
は有名な冒頭部分ですが、これの続きがちゃんとあります。
されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや
これを訳すと以下になります。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。
人は生まれながら貴賎上下の差別ない。
けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?
それは甚だ明らかだ。
賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。
人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど
ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ
人それぞれの受け止め方が違うかもしれないけど、一万円札ですからね!
日本の教育では鵜呑みにされてきた部分かもしれません!
確かに、読み書き計算の基礎学力は生きていくうえで必要だ。
でも、高校時代に学んだ勉強が今の仕事に直接役立っている人なんて、そんなにいるのかな?といつも考える。
「大人の言うことを聞く!」
「先生の言うことを聞く!」
「テストの点数をとる!」
これが優秀な子供としての扱い。
仕事をする上で必要とされてきた、忠誠心と暗記力がそれだ。
でも、インターネットとパソコンの普及によって、暗記力はいくらでも代替えできるものが出てきた。
また、大量生産大量消費の時代も終わり、商品のライフサイクルが早くなってきたのも事実。
上司から言われたことを「はい!はい!」と答えるだけじゃ新しいモノなんて作れない。
暗記力と忠誠心が確かに大切なことはあるけど、それが第一優先ではないと思ってる。
頭がいいと思い込んでる人は、問題には必ず正解があると考えている。
教授や偉人、先輩が出した答えや考えが、間違っていると疑うことをしない。
だから、勉強ができる人と考え出す力がある人とは別物だと思う。
成績が悪かった人でも、起業家や個人事業主の方はたくさんいる。
挑戦することを恐れない人。
失敗を恐れない人。
諦めない人。
そんな人が多いのかなと思う。
教科書に載っていることならネットで調べられる時代だから、調べても出てこないようなことを考えられる人が今後必要とされる人材だと思う。
スポーツの世界も学校の世界も、今までの「常識」と言われていたものが次第に「非常識」になっていく。
時代の「変化」は「常識」も変わる。
働き方を含めたライフスタイルそのものが大きく変化している過渡期だと思う。
「好きなことが仕事になるわけないだろ!」
と言われていた時代から
「好きなことが仕事になる!」
と言われるようになってきた。
(堀江貴文さんの著書によく出てくるフレーズ)
実際、嫌いなことを続けて成功なんてできないし、成功しようとも思わないですよね。
好きなことなら夢中になれるし、夢中になってることは周囲から「凄い」と言われても、夢中になってる本人からしたら普通のことだし、努力のように見られても本人は夢中になってるだけだから努力だと思わない。
「夢中は努力を凌駕する!」
これからの子供達の教育に大切な、もの凄くいい言葉だなーと思います!