どうも、ヨシヒコです。
その時代時代で新しいものは生まれる。
働き方も余暇の過ごし方も、すべてが時代と共に変化するのは当然のこと。
子供達にとっては、過去がどうであったかなんて関係ない。
今を素直に生きてる。
でも大人は???
なんでも知ってるように生きてるかもしれないけど、大半は過去を生きてきた過程における先入観や固定観念だと思わざるをえないことが多々ある。
お年寄りの経験に価値がないと言ってるわけではなくて、過去は過去、現在は現在ということを知ってもらいたい。
インターネットによって、以前とは比べ物にならない量の情報が世の中には溢れている。
子供達にとっては当然の環境であり、大人にとっては、そんなモノがなくても生きていけると思ってる人は多い。
でも、これからの世の中は情報弱者の情報格差が、そのまま経済格差にも進展するような気がする。
だから日常生活において情報を積極的に取り入れるようにするべきではないか???
僕はそう思ってる。
また、何かにつけてできない理由をつけてしまうのもそう。
大人になってから何かを学ぼうと決めたけど、なかなか時間を確保できず、または興味が薄れてしまって投げ出したこと。
とりあえず始めてみたけど、すぐ違う方に目移りしてしまって続かないなど、それなりに多くの人が経験しているはず。
この負のルーティーンから抜け出さないと、全てが中途半端で終わってしまう。
主な原因は、明確な目的を持って意思をフォーカスさせていないから、エネルギーが分散してしまって、深く浸透していかないから知識の定着も望めない。
僕も同じことを何度も繰り返して気づいたこと。
インターネットの発展によって、ライフスタイルもワークスタイルも形態が大きく変わってきた。
子どもの習い事にかけるお金が増えていると共に、一部の大人が学びのための投資を惜しまなくなってきてる。
今まではモノの価値に人が集まり、物的欲求を満たす人が多かったけど、豊かになってきた国だからこそ、情報や知識、教育を求める人が増えている。
情報や知識のインプットが学びであり、アウトプットこそが教育になる。
だから、知識の定着をはかるためにも、学んだ分だけアウトプットも欠かせないし、覚えたこと以上に教えようとする意欲も湧いていくるから、さらに学ぼうとする自分がいる。
子どもの教育に関しても、自分が受けてきた教育をそのまま使うなんて考えられない。
しっかりと学んだ上で実践されるものでなければならない。
そのためにも柔軟な学習方法を身につけたい。
能力がほぼ変わらない人間なのに、非効率な学習プロセスだったり教育プロセスで進んでしまってる学校教育を経験しているので、型にハマり、感情や理論が固まってしまうことにより学習効率を下げてしまってる部分もある。
学習の段階で弊害となるものが「知っている」「反対する」という意思を持ってしまうことなので、同じことだとしても、繰り返し新鮮味を持って聞く姿勢さえあれば、視点や着眼点が変わって新しいことを感じながらインプットできるようになる。
経験した人はわかると思うけど、同じ映画や本を2度3度観たり読んだりすると、その時の自分によって違うものが見えてきたり新たな気づきが必ずある。
知っているという意識が先にくると、自ら学習ブロックをかけて以前の捉え方と同じにしてしまう。
これじゃ学ぶ姿勢を作ることができない。
新しい情報だと感じながらインプットするためにも、同じ脳内フィルターを作ることなくオープンマインドで受け入れる姿勢が大切。
小さい頃は謙虚だから、疑問に思ったことを素直に質問していたはずなのに、学びのプロセスが固定化されているから、年齢を重ねるほどに「知っている」という感覚や偏った知識が強化されて、学びに対する吸収率が悪く柔軟性に欠ける。
また、「反論」や「自己主張」も強くなってくるけど、物事は常に進化していくので固定化されてはいけない。
これを受け入れるなら、学習に終わりはないし、これが正しいと思い込むこともなくなる。
医学だってスポーツ科学だって、随分と変わってきているのは承知の事実。
だから、否定することよりも、そこから何かを作り出すことはできないだろうか?
という融合の考え方を持つべきだし、こういった考え方がパラダイムシフトを起こすので、「自分は何も知らない」と思うことの方が学習の向上と発見が見込める。
聞いたことがあると思った時点で、脳が学習モードから離れてしまうので、多くの学習を取り入れるためには反対する考え方は持たない方がいい。
信念は大切だと思うけど、次のステージへ進化させるためには、何でもかんでも信じ過ぎると変化はできない。
世の中で否定されていることやカテゴリー分けしていたものでも、融合を通して新たな発見や発明になることもあるので、「こうなんだ!」で終わらせることなく、このサイクルを次へ次へと乗せていく感覚を持つようにしたい。
世の中の仕事が今後益々機械に置き換えられていくなかで、当然人間がやってきた仕事は減ってく。
それを仕事が奪われると考えるか、それとも、人それぞれ自由な時間を持てるようになると考えるか。
もし今の仕事が機械に置き換えられると思うなら、我慢して今の仕事を続けるよりも、手遅れになる前に何か別なことを学ぶことだったり探すことの方が大切な決断だと思う。
時代がどう変化しようとも学習と教育はなくならない。
堀江貴文さんのいくつもの書籍には
「これからは遊びが仕事になる」
と書いてある。
今まで人がしてきた仕事が機械に置き換わり、人が時間を持てるようになると、遊びが仕事になっていくんだと。
影響力を持つ人間は尊敬されるし、いい意味で他人の人生をコントロールしたりして主導権を握ることができるようになり、反対に影響力を持たない人、情報弱者や学習弱者は生きていくのが大変な時代になるのでは???
と思わざるを得ない。
今までのライフスタイルから自分らしくないと否定することは愚かな話で、自分の人生を本気で変えて豊かに過ごしたいと思うなら、古い自分を捨てる覚悟が必要だし、自分らしさにこだわりを持っていては進化も成長も望めない。
他人は人を変えようとしたり、新しいことを始めようとすると反対することが多いのは、他人は基本的に人の成長を見たくないし、コントロールが効かなくなることを素直に喜べないから、変化しようとしている人の足を引っ張ろうとする。
そういった外的要因による学習ブロックもあるので、本当の意味で自分の成長というのは自分しか判断することができない。
他人の理想の中で生きることなく、自分が求めている心の声を素直に聞き入れ、選択できる自分の権利に責任を持って常に新しい自分を求めて行動すること。
一貫性がないとダメなように受け止めがちだけど、逆に保とうとすると変化も進化もできない。
毎日が選択の連続で生きているので、感じ方や考え方の矛盾が起きないようにつじつまを合わせようとして生きているのが普通だけど、この習慣によって変わることに対する抵抗力が高くなっていることに気づかないとダメだと思う。
過去はこう言ってたけど、今はこう思うって考えがたくさんある。
発見があれば変化するのは当然のことなので、一貫性がなくなるのは自然なこと。
考え方や言動行動を別人にしたり、スキルと魅力を併せ持った人になるような変化や進化を与えたりして、学習者の一貫性を無くしてあげることが、本当の教育者の存在価値になると思う。