どうも、ヨシヒコです。
資本主義から価値主義へ・・・
そんな話をした前々回のブログ。
すでに価値主義に向かいつつあるな〜と思えるところは、YouTuberやInstagramerのように、好きなことで生きていくスタイルを実践してる人が出てきた。
芸人ヒロシさんのように趣味のソロキャンプを楽しみながら、動画配信によって月に数十万円もの広告収入を得る人がいたり、大手企業も副業の解禁が始まり複数の収入源を確保してる人もいる。
以前のように、会社に勤めて決められた時間働いて給料をもらい、稼ぐためには残業もする。
そんな時代から変化がある。
ミレニアル世代と言われる1980年代以降に生まれた僕らの世代は、1945年の終戦直後に生まれた人たちとは、当然だけど価値観が違う。
戦後は国民のほとんどが貧しかったけど、高度経済成長を経験して裕福になった。
生きていくモチベーションは、美味しいものを食べたい。もっと贅沢をしたい。お金を稼いでもっともっと豊かになりたい。
マイナスからのスタートだったから、必死になって「普通」の生活が送れるようになりたい欲望が、勤労意欲となった。
でも、比較的裕福になってくると、戦後育ちの人と仕事へのモチベーションはかなり違うように感じる。
僕もお金に関しては興味があるけど、出世や地位には興味がない。
興味がないというよりは、興味が無くなったという方が正しい。
自分の時間を生きるよりも、会社や組織のために生きる選択をする人が多いことに気づいてから、僕は真似できないなって思うようになった。
あれが欲しいこれが欲しいなど、以前のような物欲も無くなったし、ある程度モノは満たされてる。
美味しいものが食べたいという欲求も、小さい頃からただお腹が満たされたら良いくらいに思ってた。
たまにはね、肉食べたいな〜とか寿司食べたいな〜とかあるけど、高級なものなんて必要ない。
ある程度満たされて豊かになってしまうと、人の欲望は変わってしまうなとも思った。
そこそこの収入があれば生活はできる。
収入が第一というよりは、一度きりの人生なんだから、自分の思うようにアクティブに動ける時間が欲しくなる。
死までのカウントダウンが進んでいる今、やりたいことができないことは不幸だ。
でも、生活するためには収入を得るための仕事は必要だから仕方ない。
生きてる時間の割合で考えると、多くの人が仕事と家庭に縛られているのが現状なんだろうな。
僕は幸い、週末と夜は自由を得ているから、周囲からは幸せな奴だなと思われてるかもしれない(笑)。
一生懸命遊ばないといけない!!
僕はそう思ってるから、素直に自分に従う。
さっきの話のように、戦後生まれの人たちは、満たされていないものを満たそうと必死だった。
でも僕らの年代はその価値観と一緒だろうか?
すでに戦後生まれの人たちが求めていたものは満たされた状態。
それを満たそうと必死になること自体が無理なんだよ。
出世とかに興味がないし、偉くなりたいとも思わないし、それなりの給料でいいから余暇を過ごす時間が欲しいと思ってる世代は、何に向かって頑張ればいいのかが見えてこない。
何をモチベーションに頑張ればいいのか・・・
僕は完全に、これがわからなくなってしまったから、そのエネルギーを趣味に向けた。
生きる意味とか、今のまま年齢を重ねていくとどうなってしまうのかとか・・・
不完全燃焼みたいな感覚というのか、モヤモヤしたものが拭いされなくて、ただただ趣味に没頭。
でも、それが価値になっていくんじゃないかって思ってる。
同じ趣味を持つ人がたくさんいる。
新しい出会いから人と繋がれる。
同じ時間を過ごすこともできる。
会話を楽しむこともできる。
情報交換もできる。
SNSの普及によって、趣味を通じて多くの人とコミュニケーションをとることができる時代。
他人の投稿が情報源となって刺激を受けることも多々あるし、知ってもらいたいことや何気ない日常のことを自分も含め多くの人が投稿する。
そうやって、戦後間も無く生まれた人たちには理解できないインターネットの環境があり、人に与え与えられる関係がある。
近所の人や親戚くらいしか親しくすることはなかったかもしれないけど、今は国を超えて世界の人がリアルタイムで簡単に連絡を取ることができる。
これ自体が生活を変えているし環境の違いもあるのだから、生きる目的や意義も変わってきて当然だと思う。
マズローの欲求5段階説によると、
- 生理的欲求
- 安全欲求
- 社会的欲求
- 承認欲求
- 自己実現欲求
があるけど、研究がさらに進められ、
「自己超越欲求」
というものまで出てきた。
自分が満たされても、まだ先の欲求が生まれるという意味で、社会全体の自己実現を目指すための利他的な欲求が出てくるというもの。
他人の内面的なものを満たすことができる価値を与えられる存在。
その人だからできるという独自性が、そのまま価値になると言われている。
カリスマという言葉が飛び交っていた時代があったけど、それが始まりなんじゃないかな。
今は使われなくなったけど、ずっと先頭に立ってるお笑い芸人もアーティストもカリスマであり、その人にしかできない強みで人を魅了している。
ヒカキンさんをはじめとするSNSで影響力を持つ人がいるけど、それもその人の独自性にファンがつく。
僕ら釣り人の間で有名な本波幸一さんも同じように、その世界で独自の道を歩んでいく人には自然とファンがつく。
他人や集団に染まるのではなく、共通することはあっても独自性や自分のスタイルというものは欠かすことができない。
以前に一人歩きした「個性」という言葉は、他人が受け入れられないことでも、「個性」だって言っていたけど、本当の「個性」とは受け入れる人やファンになってくれる人がいて「価値」になるもの。
本当の「個性」を育てられる環境が求められる中で、日本はどうなんだろう???
ってことで続きは次回。