どうも、ヨシヒコです。
こうあるべきだ!!!
過去と今を比べると、当然だと思っていたことが違ったりする。
日本型の教育的要素が強く、戦時中も命を落とすようなことなのに、出征した兵士が戦死したら「誉の家」と記した札などを掲げるなど、今となっては考えられないことが「そういうものだ」と受け入れられていた時代がある。
最終的には異常とも言える「特攻」によって、勝てる見込みのない戦争に多くの若者の命が失われていった。
早期に終わらせたい戦争だったにもかかわらずルーズベルトの思惑があったり、日本も戦況が悪い状態にもかかわらず手段がエスカレートしていく。
異常だという事態なのにもかかわらず、多くの人が麻痺している状態。
麻痺もあるけど、おかしいと思っていても、その場の空気に流されたり、合わせることが日本人的考え方なのかもしれない。
軍のトップに逆らうことができないし、その頃から「空気を読む」のが当然のことで、「こうあるべき」というのが暗黙のルールとして根付いていたように思う。
責任の所在を曖昧にしたり、無責任に他人事のように命を軽くみたり、当事者意識が欠けてる部分があったり・・・
これは、今の組織でもそのまま残っているのではないだろうか?
「過労死」も会社の就労規則がおかしい部分があるけど、一緒に働いている人も「ありえない・・・」と思いながら、「そういうものだから仕方ない・・・」と受け入れてることが多いのではないだろうか?
真面目な人ほど手を抜けないから頑張りすぎる。。。
これが「集団」の中にいるとわからなくなる「怖さ」だ。
この「常識」という、過去の人が作り出したものを、ずっと守っていくべきだろうか?
確かに必要なことはある。
「人を傷つけない」とか、「人をバカにしない」とか、「人に迷惑をかけない」
などなど、人としてあるべき姿はある。
しかし、人間は変わらなくても、社会は大きく変化している。
既存のルールじゃ成り立たないこともあるのに、過去に囚われていることが多すぎるのではないか?
僕なんかはそう強く思ってしまう。
みんなに合わせることが求められたりするけど、それも必要ないかなと・・・
辛いことを我慢することが美学のようだけど、それで幸せになれるなんて保証もない。
これからの時代は、過去のような限られた働き方や生き方に捉われなくてもいいと思う。
別に人に認められたり褒められることが立派なわけじゃない。
最終的に自分がどう感じてどう生きるか?
だと思うから。
自分の解釈でなんとでもなることもあるし、自分のことは自分で判断すればいい。
他人の期待に応えることが「正しい」わけじゃないし、自分を犠牲にしてまで「人を幸せにする」必要もない。
まずは「自分」だから。
人を不幸にすることよりも、自分が幸せになることに時間を使う。
自分を幸せにするために使う時間が多ければ、それだけ人生は豊かになるだろうし、世界の幸福量の総和も大きくなる。
他人の「機嫌をとる」ことは必要ないけど、「機嫌を損ねるような行動」や「他人に迷惑」をかけて幸せを手に入れるのはもちろん反対。
じゃないと「自立」も「自律」もできていないから。
幸せを求めるからには「楽」はできない。
「自由」を手に入れることや、「好きなこと」をするために、「楽」なことも「簡単」なこともない。
でも、諦めなければ手に入るものだと思っている。
諦めないための根気や勇気、そして本気が必要だ。
人間の最終的な武器って、「諦めない心」なんだとさえ思う。
諦めないだけで他人との差ができる。
「諦めないで継続する」という行為は、ほとんどの人ができない。
勝手に離脱していく人が多いから・・・
「諦める」という選択肢がない人は行動し続けるから、これこそが「才能」というものだ。
僕の趣味の世界でも、情熱大陸に出演していた「大物釣り士 本波幸一氏」を真似るなんて、そうそうできることじゃないし、他のの人からすると釣り人そのもが理解できないという人もいるかもしれない。
ただ一つだけ言えるとしたら、ほとんどの釣り人は年齢に関係なく「夢中」になることを知っている。
「夢中」になることが普段の生活にない人から見たら、ちょっと不思議に思うのも無理はない。
子供と変わらない好奇心で遊んでいるから。
作られた現実世界で生きる時間と、長い年月をかけて作られてきた自然に身を置くことができる時間があるから、精神的な安らぎや「ONとOFF」の切り替えもできる。
人に対しては「イラっ」とすることがあっても、自然に生きるものに対しては一つもそんな感情を抱くことはない。
僕なんか釣行の際は深夜ドライブばかりなので、狐や狸はもちろん、アライグマや鹿などの野生動物をたくさん見かける。
「車と衝突しないようにな〜」
「長生きすれよ〜」
なんて心の中で思ってしまう。
自然環境の破壊や農業被害の問題もあって、捕獲され殺されてしまう場合もあるので複雑な気持ちになる。
人間が生きるために公共工事をおこなったりして、魚が持つ本能によって自然は豊かに育むはずなのに、それを人間の手で阻んでいる現状もある。
絶滅危惧種に指定されている魚。
すでに絶滅してしまった魚。
その河川では絶滅してしまっている魚など、人間の手で環境を奪ってしまってる現状は心が痛い。
自然界に存在する動物や魚たちは自然のなかで生きてる。
自らの命、そして子孫を残すために必死に生きてる。
本能のままに使命を全うして生きてる。
人間はどうか???
自分のことよりも、他人がいて集団の中にいて、それを乱しちゃいけないと教えられる。
でも、社会に出たら自分で考えて行動しなさいと教えられる!
これじゃ、いつ自分で考えて行動する練習をするの???
生きる力はどこで身につけるの???
もっと自分を持って生きる必要があるなと・・・
不満があるからと、影で愚痴を言ってる時間は本当に無駄だし最低だ!
自然界は逞しく生きているのに、それを邪魔してる人間は何をしてるのかと思えば、ただ期待をして待っているだけなんて都合のいい人もいる。
趣味をとおして自然に教えてもらうことがたくさん有りすぎるなと、改めて思った次第です。