どうも、ヨシヒコです。
気が小さい自分にとって、第三者の評価はめちゃくちゃ気にしながら生きてきた。
親には怒られてばかりで、鉄拳制裁は日常茶飯事。
でも、自分を唯一保ってこれたのが、第三者からの評価だった。
まぁ親の目を気にしながら育ったから、何をすれば怒られないかは学んでた。
怒られないというより、普通なら褒めてくれるようなことが普通という基準。
「子供なんだから・・・」
という目線はない。
普通なら気にならないことでも、親の基準???
暴力で片付けられる。
泣いてもさらに叩かれるから、恐怖で泣けない。
そんな環境だったから、大人の機嫌をとることも上手くなったし、逆にイラつかせることもできるようになった。
ヒネくれた性格になるわ。
でも、褒められることは誰でも嬉しい。
人に必要とされるとか頼られるとか、それを経験させてもらったのが唯一野球だった。
人並み以上にできたから、小学生の頃から指導者とぶつかる事は多かったな〜
「俺は野球を教えて欲しい!」
今思えば、野球をやってきた指導者なんて小・中学生の頃はいなかったんだよね。
先生だから・・・
とか
保護者だから・・・
とかね。
野球を本格的にやってきた人がいなかった。
それだもん、教えることなんてできないよね。
高校に入ってからは専門的な人がいると思ってたけど、これまた自分が描いていたこととは違ったな。
小さい頃は出来ないことが出来るようになるだけで楽しかった野球。
だけど、体の成長がある程度止まると、次の段階は知識がないと上達はしない。
持ってる運動能力の限界がくる。
頭を使えないと強くもならないし上手くもならない。
そんな時に必要とされるのが指導者なんだけどね。
どれが正解かはわからないから最終的に決めるのは選手なんだけど、それを強制的にハメたがる人もいる。
選択させる材料をたくさん持っていることと、適性を見極めてやれる目を持つこと。
だからすぐに結果は出ないし、見守ってやることも必要なんだ。
でも、結果を急ぐとともに、自分の言う通りにしないと気に入らないと判断する指導者もいる。
教える立場になった時に役立った経験ではあったけど、なんかね〜
自分で言うのもなんだけど、自分で自分を教えてやりたい(笑)
まぁ、高校時代は必死だった。
どうしたら背番号1を貰えるか・・・
言うことを聞いて頑張ってみたけど、結果が出るどころか自分に自信がなくなっていく・・・
ダメだこれ(笑)
そう気づいたのは2年生が終わる頃かなぁ?
指導者のアドバイスを聞いてても一つも成長しないから、もう無視して自分で決めようって!
それが大正解だったんだよね!
球速もコントロールも向上したし結果も出た。
それがあったから、ある意味では後悔のない高校野球の締めくくりになったのかもしれない。
もし、本当にあの時、指導者の言うことばかり聞いて、結果も出ないまま終わっていたらどうだろう?
考えるだけでゾッとするくらい、後悔しか残らない高校野球だったと思う。
第三者の評価ばかりを気にするってことは、良くも悪くも最終的に後悔が残る。
何でもかんでも反発すれってことじゃなくて、受け入れつつ自分の判断ができるかどうか?
情報が溢れてる今の時代において、取捨選択能力の大切さと同じだね。
自分で決めたことなら失敗しても後悔しないんじゃないかな。
その後悔は今後の人生に役立つものだから。
判断した自分に、全ての矛先が向くし、それがエネルギーになる。
逆に、他人に決められたことだったらどうだろう?
矛先は他人に向かないだろうか?
そのエネルギーは怒りへと注がれないだろうか?
実に無駄なことだ。
だから思う。
長い人生の中で失敗は誰でもする。
でも、その失敗は自分の選択の末なのか、それとも他人に流されてのものなのか?
この違いはめちゃくちゃ大きい。
普通に染まることなんて簡単なことだ。
責任転嫁できるし愚痴も文句も言いたい放題言える。
大多数にまわるだけで安心する、精神安定剤みたいなもの。
僕はそれが嫌だから、他人が求める理想を求めないし、他人の判断で決めることはない。
言いたいことは言うし、そうだと思えば従うし、どうでもいいこと以外はなんとなく判断しない。
ある意味で、他人が求める理想を追ったり、判断を任せたりしていた過去があるから反省してる。
後から文句を言う自分が嫌になったから。
最初に言えよ!
ってね。
反省は次に活かすものだから、同じことは繰り返したくないし、過去に執着することもない。
どうせいつかは死ぬ。
一生涯をかけて・・・
なんて言葉もあるけど、過去の一生涯と言う時間は50年とか60年。
それなら一つのことしか極める時間がなかったかもしれないけど、今は寿命が80歳を超えてる。
そう考えたら、一つの人生で2つや3つのことくらいは、とことんハマってみたいね!
不器用だから、2つを同時に追いかけられない性格も問題かな(笑)